生産性と非生産性の関係性
普通は生産的な活動または生産的だと思われる行動が生産やプラスに働くおおきなファクターとなる
が発達障害だと特にそうもいかない。
生産的でかつ効率的であっても、当人がそも行動の意やルーティーンの必要性を感じない限り、スピードで押し切り段取りを無視したり、そもそもルーティーンを覚えられない。などといった社会生活においては重大な欠点に変わったりする。
困ったもんだと思うが、当事者にはどうしようもない
最近は非生産的な行動に重きを置くようになってきた。
実際生産的であることは替えが効くし、私でなくてもどうにかなる事が圧倒的に多い。
しかし非生産的な労働や行動に関しては感情面の欲求が大きい。
非生産だとしてもその過集中で手に入れた細々としたスキルであったり、多少の経験だったり知識にしか助けられた事ないなって思うし、完全に遊んでると思われても私にはそういう人生しかないのだ。と漠然と思った。
発達障害の診断から、三年がたち、山あり谷あり(一年の半分くらい死にたいけど)でなんとかやってこれました。
希死念慮のなかなかなかにハイになってブログを書いたり、
はたまたがちな躁的なハイになってブログを書いたり、
ブログを熟成させるといいつつしっかり目に放置したり(いまだに投稿できてない)
おつかれ私!って感じだけど、支えてくれる人がいてちゃんと此処までこれたんだって本当に思う。
実際に発達障害の薬ももうほとんど(日数的に)飲んでいないし。
ある程度定形に固執しない方向にうまくシフトすることができで来たんじゃないかな。
まあ、三年目の雑感はまた今度書くとして、今回は今日電車の中で感じたことを書いていきました。
久しぶりにブログ書くと’かく’って楽しいなって思うんよな。
っていう多少の感想も書いたところで今日のブログはおしまいですどうも。