発達障害は運だと断言された話
こんばんはねるです。
こないだのお話をほりかえしますね。
こないだっていつやねん!て思うかたはここで見るのを辞めてなんて言いません最後までみてね。
どうしても伝えたいかと言われるとですが、発達障害を対策したり克服したり?治らんけど努力する趣旨がこのブログにはあるので、
過去に下書き保存したものは、掘り返して書かないといけない義務があるんてすよね。
書けよってプレッシャーをかけつつの下書きなので。
本題に戻るよ。
発達障害は運です
これは主治医にいわれたことばです。
この趣旨は、発達障害が原因ではなく、発達障害の人とそれを取り巻く環境の不調和が発達障害当事者を病院へ赴かせているということ。 でした。
そうですが、あまりにもあっけらかんとした言い方に、うわぁぁぁあーーーーーまじかーーーーー
ってかんじだったねるです。
あまりにも圧倒されたと言うかなんと言うか。
あっけらかんとしたいいますよね。よくも。
ちなみに主治医も典型的なadhdです。学会に遅刻するやばい人です。まぁそこら辺が面白くて好きですが。
でも本当ににそれな。と思ったのも事実でした。
簡単に発達障害~発達障害~って言いますが、支援も対策も飛び越えてまずお薬から、なんていって処方されて様子見なんてこともある発達障害の世界で、
いつもわたしにはくすりに頼らない対策を雑談がてら語ってくれる大切な存在な訳です。
そんな日とに言われたらえええええ~ーーーっ
てなるじゃないですか笑
でもそうらしいですよ。
別に運だからといって
はいお前大凶だからもう知らね。
あっちの病院いってくれ~俺知らねーから。
って言われるんけじゃないんですよね。
そういう運じゃない。
でも、ある種の運の要素もある。
これまで発達障害ということばが浸透していなかった頃、生きづらいながりもやってこれた人たちがいたのは、ある種の運があったからでは?ということです。
職場環境に恵まれてたとか、家庭ではリラックスできたとか、そういう小さなことでもすべてがその人を構成し、本人が決定可能な要素なわけで、
離婚したら環境は変わるし、しごとで部署が変わったりしても、今日だけ一駅分歩いて帰っても、たくさんの決定でいまの状況を過去の決定で動かしていくわけですからね。
パラレルワールドなわけよ。
これは言いたかっただけやけど。
でも、そういうことです。
運は変えられないが、どうしても運が悪い人がここ(病院)にいる。
ある種その人だけの問題ではない。その人だけの責任ではない。そんな不思議なことでも、理由なんかなくても、そういうことが起こり得るということ。
誰の責任でもないなら、逃げちゃってもいいのかも。ということ。
誰の責任でもないから、自分で運まで背負ってやる!って投薬なり支援を打ち切ること。
どちらも悪い選択ではないと思うんです。
運なら死ぬ気で変えてやる。っておもうの。わたしは。
死ぬなら死んでもいいから変えてやるっておもうの。
たから投薬を打ち切ることに決めました。
主治医ももうやめたら?って感じだったので。
次回からTwitterでも報告したように、ブログでも投薬やめてみたっていう章をはしめます。
いつまでもあると思うな親薬。
いつまでも効くと思うな薬。
ということで。
またブログ書きます。