発達障害の核心に迫ってみる
こんばんは。よるですね。今日ぽっと考えることがあったので、メモがてら浮かんだ考え?とも言える結論に迫った命題をブログにカキカキしようかなと。
大人、思春期に発達障害の診断を受ける。
これにはどんな覚悟が必要なのか。
受け入れる覚悟とか、納得する覚悟とかそんな漠然としたことでいいんだろうか。よくないっす。 というか、よくなかった。診断当時は良かったかもしれない。でもいまはそれだけじゃ覚悟が足りていない。そう感じる。
私が今日行き着いた結論がざっくり分けて二つ。
ひとつは、定型発達と同じ方法論、いわゆる世で言う正攻法を
疑う覚悟。定型発達からしたら、何で同じようにやらないんだ、とか、ひねくれてるって言われるかもしれない。
でも同じ努力は結果として努力不足になるんです。
だって、聴覚優位の人間が視覚だけで記憶しようとしたら、人よりも時間がかかるでしょ?その逆も同じ。
定型発達のひとは、聴覚と視覚がある程度バランス よく使える。その人たちのやり方を真似していたら、遅れていってしまう。
当たり前のことなのに、努力不足だと自分を責めるだけ責めて、方法の根底から疑うことをしていなかった。
発達障害は脳の偏り。同じゴールを目指すのなら、自分にあったやり方を探すべきだと思う。それが他人と離れて一人て進む道だとしても。
それでゴールで同じくらいのタイミングでゴールできる。それならそれでいい。
私は聴覚優位で視覚と聴覚のIQの差が大きいところで比べると30
かなりの差です。
聴覚からならおぼえやすい。それだけでも、活用法はさがせばたくさんあるはず。
二つ目で終わるつもりが、ひとつで長く書いてしまった。
二つ目はプライドを捨てる覚悟ですが、またそれは気が向いたら書こう。
ちゃんと寝なきゃ。お休みなさい