ADHDの女子大生が雑感をひたすら書くブログ

高校生でADHDと診断されて数年。現在は大学生となったねるが、投薬を開始し、備忘録がてら自己満ブログを書いています。

聴覚過敏と私の話

聴覚過敏ってなんぞや。なんて方はとりあえず説明は後で。


一通り雑感を書こうと。


とにかく元々音に色が見える人なので



生きるのがしんどい (笑)



人の話が聞き取れない。



休薬日はもっと酷い



薬飲んでても



薬が切れた夜はわかりやすくてしんどい





聞こえてるのに聞こえない。




私も時々あると言われるが 、


多分

定型発達の聞こえないとは別個レベルなんだろうな。



YouTubeに自閉さんと定型発達さんの聞こえ方って言う動画上がってたけど、ADHDの私もほぼ変わらない感じです。



音で頭の中がスプラトゥーン




で誰か分かってもらえないのかな。



ただの感想分みたいになったけど、最近ストレスやらで聞こえないのが常で辛すぎて笑う。


今日も一日頑張っていこう。

ディスレクシアって本当に知ってる? 9/26追記

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そういえば、この間のビックリした出来心を書いていこうと思います。

こればかりはスルースキル発動できないので。


市民図書館に本を探しに行ったときのこと。



発達障害の自覚があった私は、聴覚優位の特性をちゃんと考慮して本を読もう!と謎に意気込んで、そういえば、目が見えないかたや、学習障害をお持ちのかたは、どう図書を利用しているんだろう。気になった私は、図書館の受付の方に尋ねることにしたのです。



私「ディスレクシアの友人がいて、図書を借りたいそうなのですが、本を目で追うことが難しいので、デイジーを利用することは可能ですか?」

友人という表現をしたのは、いつも発達障害とかで困っていて周りに助けてもらっている立場として、困っていることに嘘をつくようなことはしたくなかったから。


司書と思われる方「ディスクレシアですよね?デイジーの貸し出しは障害者手帳等が必要です」


ディスクレシア?と少し気になったのはおいて置きますが、もしディスクレシアで困っていて、未診断の場合、調べたい情報はどう手に入れるのだろうか。


私は少し気になった。




診断書や障害者手帳で見えないこともあるから、現状困っている人に支援が行き届かない。そのジレンマを何となくことblogで伝えたいなと。



この事については、まだ理解が浸透するまでに何年もかかると思う。でもこの事実は少しでもシェアしてたくさんの人が少しでも関心を持ったり、知ってくれる。そこから始まると思うから。



ちなみにディスクレシアはIQのディスクレパンシーと混同したのかな?と思った。 でも半ば押し気味に名前を直された。ディスクレシアですよね?って。


それにしても
ディスレクシアという名前を聞いたことがあることに驚いた。 たしかにディスレクシアなのかディスクレシアなのかは置いておいても、知っているだけで説明の手間は一気に省けた。




因みに、決して図書館側を否定したくて書いてるんじゃないです。友達?の為に質問に来た友人(設定)の私にも誠実に対応してくれた。




でもね。思ったんですよ。ディスレクシアかも?と思って調べ物がしたい。でも、文字が読みにくかったり、読めなかったりする。

つまり、視覚的には文字をインプットできない人が世の中にはいるんです。


でも、それに対して音声サービス等を利用するには障がい者手帳が必要だと言われる。


もちろんルールなのかもしれないし、図書館の方はその決まりに従ってそういった申し入れに対して対応しているなら、仕方無いのかもしれない。

でもこれって、ただディスレクシアで生きづらい人の社会復帰や、学習を遠ざけているだけなのでは。と。


もしかしたらディスレクシアなのかも。と思って調べ物をしに来た。公共サービスなら受けられるかもしれない。その思いに対して、手帳がないと証明にならないの一言で門前払い。


何とかしに来ている人もいるんです。



藁にもすがる思いの人もいる。


たしかに、みんながみんなではないけれど、





学習障害など、何百年前からあるようなものじゃない場合、どうしても困っている時と理解される時までのギャップが生じてしまう。 それはやはり、どうしようもないことなのかもしれない。



でももう少しどうにかならないのか。



物理的平等ではなく、本から情報を得たい。そんなヒトみんなに公平にならないものか。




考えてしまった。


9/26追記

adhdとディスレクシア 学習障害

気になったので備忘録程度に。



目の使い方の病気で、斜視というのがある。

学習障害を持つ人は斜視、斜位の割合が高いらしい。


自分は斜位だ。



斜視なら視力検査等で解ることもあるらしいが、斜位は片目を隠したときのみ現れる寄り目症状、離れ目症状なので、本来学校単位で行う視力検査では見つかりにくい。


ときどきふとした瞬間に視界が焦点が本来見たいところと別のところにあって、ぼやーって見えるのを感じる。意識し始めたのは最近かも。

気にするのがストレスになるので、基本視覚に頼る勉強に頼りすぎないことを前提にするようにしています。



私は診断が下るほどのディスレクシアは今のところないはずだが、私ですらカラフルなものを見るとすぐ疲れてしまうのだから、ディスレクシアの方のためのサポートはもう少しみんなで考えたい問題だと思う。

教科書とかがカラフル過ぎて知らないうちに気が散ったり、体力を他の人より消費する人って、絶対いると思うんですよね。



私とか(笑)


対策としては、教科書等を撮影してタブレット等にいれて、それにカラーフィルターをかけて自分のみやすい色にすると、色が軽減されるなどでしょうか。



個人的には、紙製の本でカラフルな場合、緑色の下敷きを被せるとかなり見やすくなりました。


これについてはまとめサイト等を参考にして文房具屋さんでメチャメチャ参考書にいろんな色の下敷きを押し付ける危ない人になって、決めました。



これてしばらく様子見です。

投薬は性格を変えるのか

こんばんはー!ねるです。


さいきんおこることがめっきり減りました。


ひとに嫌なきもちにされることすら減った?気がします。




気にさわることが減った。あとは、その感情を相手に跳ね返すのをやめた。と言い換えた方がしっくり来る。





対人関係も、昔よりは良好になり、これは間違いなく投薬のお陰だと思います。



投薬前はイライラが止まらなくて、何もなくてもイライラしてるような感じだったから。干渉が溢れないだけ楽になった。



でも相手にぶつけなくても傷つくこと、ひっかかることはある。




その事柄に関しては、しゃくにさわることは図星なことがおおく、目を背けている事実であることも多いので、自分を変えるいいきっかけかなと思います。

発達障害の核心に迫ってみる


こんばんは。よるですね。今日ぽっと考えることがあったので、メモがてら浮かんだ考え?とも言える結論に迫った命題をブログにカキカキしようかなと。



大人、思春期に発達障害の診断を受ける。

発達障害としていきる。発達障害の自分と生きる。


これにはどんな覚悟が必要なのか。



受け入れる覚悟とか、納得する覚悟とかそんな漠然としたことでいいんだろうか。よくないっす。 というか、よくなかった。診断当時は良かったかもしれない。でもいまはそれだけじゃ覚悟が足りていない。そう感じる。



私が今日行き着いた結論がざっくり分けて二つ。



ひとつは、定型発達と同じ方法論、いわゆる世で言う正攻法を
疑う覚悟。定型発達からしたら、何で同じようにやらないんだ、とか、ひねくれてるって言われるかもしれない。



でも同じ努力は結果として努力不足になるんです。


だって、聴覚優位の人間が視覚だけで記憶しようとしたら、人よりも時間がかかるでしょ?その逆も同じ。


定型発達のひとは、聴覚と視覚がある程度バランス よく使える。その人たちのやり方を真似していたら、遅れていってしまう。



当たり前のことなのに、努力不足だと自分を責めるだけ責めて、方法の根底から疑うことをしていなかった。




発達障害は脳の偏り。同じゴールを目指すのなら、自分にあったやり方を探すべきだと思う。それが他人と離れて一人て進む道だとしても。


それでゴールで同じくらいのタイミングでゴールできる。それならそれでいい。



私は聴覚優位で視覚と聴覚のIQの差が大きいところで比べると30

かなりの差です。



聴覚からならおぼえやすい。それだけでも、活用法はさがせばたくさんあるはず。



二つ目で終わるつもりが、ひとつで長く書いてしまった。





二つ目はプライドを捨てる覚悟ですが、またそれは気が向いたら書こう。



ちゃんと寝なきゃ。お休みなさい

発達障害と診断されて一年とちょっと


発達障害と診断されて一年と数ヵ月がたちました。


苦しいこと、悔しいこと、悲しいこと、笑うこと、泣くこと、嬉しいこと、楽しいこと


たくさん、たくさん、経験しました。



障害のせいにして諦めることも、もしかしたら昔より増えたのかもしれません。


投薬でできることも、増えたのかもしれません。




でもどうだろう。薬を使わずに、パワーに頼らずに、ぽんっと、素の私のまま放り出されたら、あの日から私は何かしら変わったと言えるのだろうか。




最近、得体の知れない空虚感に苛まれる事があります。


これは、投薬したからこその感覚と言えると思いますが、投薬して得た自己肯定力や自己肯定感は、投薬しているときにしか発揮されないということなのかもしれません。



たくさんの音が色が入ってくる世界を、楽しむことができない自分がいる。その自分を直視するのもなんだか寂しいものです。



あーもっとポジティブなblog書きたかったのに!





でもこれが投薬の真実なのかもしれません。




また更新します

10/12追記。投薬で変わったこと等、発達障害の診断から変化を体系的にまとめた記事を載せておきますので、こちらの方が参考にはなるかな?と思います。ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。 コチラ↓↓↓↓☺
http://nerunerudream.hatenablog.com/entry/2017/09/28/171118

発達障害のカミングアウトのはなし

こんばんは!ねるです。


たまたま見かけたサイトにてカミングアウトについて取り上げられていたので、少し意見を書くことにしたいと思います。



その内容は、我が息子が彼女に発達障害をカミングアウトして受け入れられた。


母である自分としては、知り合いの中にはカミングアウトして周囲との関係が悪化した人がいたので、同じようにならないか心配になったが大丈夫でよかった。

といった内容でした。(かなりの自己解釈ならぬ事故解釈でないことを願います)









実際この記事を拝見して思ったのは、当事者より親や親類の方が、心配のあまり敏感になっているのでは?それに加えて、身内の障害を後ろめたく感じているのでは?

ということです。


もちろん、当事者ならではのひねくれた解釈なのかもしれませんが。


発達障害のカミングアウトで離れていくくらいなら、初めから友達になってもらえないでしょうし、発達障害だからこそ、相手とうまくやっていきたい。その気持ちがあるからこそカミングアウトする必要がある場面か存在する。



発達障害である自分が忘れていけないのは、他人よりも何をやるにも成長スピードが遅いこと。それを時には楽しむくらい、気軽に継続して努力できるようにすること。 向上心を忘れないこと。




ざっくりあげるとこの三つかと思います。




また新しい季節が来ましたね。発達障害が分かってから2回目の春です。





少しずつですが、スモールステップでも進めるように。





それだけ肝に命じて頑張っていこうと思います。

初投稿的なファーストミニマムステップぅ

発達障害ちゃんとお友達といえばこの私。ねるです。


まずテスト投稿といった形でこのブログを書いていますので、内容はトイレットペーパーよりも薄くといった形で進めていこうかと。



フランクに真面目にがわたしのモットーなので(いま考えた)



そこのところ忠実にやっていこうかなぁと思っています。



前のblogを見てくださった方にはお久し振りですなのですが、あえてここではフレッシュさを押し出したい私の意向を全面的に押し出した形で初めまして☆で統一お願いします(笑)



これからよろしくお願いします!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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