ADHDがーるが雑感をひたすら書くブログ

高校生でADHDと診断されて数年。投薬を開始し、備忘録がてら自己満ブログを書いています。

親の愛情と二次障害の関係性 未修正

こんにちはどうも。ねるです

 

 

いやー最近ブログ更新をサボりがちなんですが、1日何人かの方はこのブログにきて何かを見てくれている訳で、あまりサボってらんねーなという気持ちがなぜか生まれ

 

なおかつ躁っぽいので授業中の内職としてこのブログを書いている訳です。はい。

 

 

まああれよ。大学生ってもんはこんなもんですよ。

 

 

まあネットサーフィンじゃなくブログを書くことになったのは訳がありまして

 

 

 

まあ講義内容がたまたま精神疾患発達障害についてだったからなんだけれども

 

 

本題ね

 

 

 

今回は発達障害当事者の私と二次障害またその背景に潜む愛着障害精神疾患について書いていこうかと思うの。

 

 

まあ実体験になるのだけれど

 

 

 

私って愛着障害なんじゃ無いかって思うの。

 

 

 

 

まあ実際、ネットに落ちてるチェックリストとかをやると、回避性愛着障害が一番強かったです。

 

 

愛着障害っていろんな型があるのね

 

 

この分類がなければ「愛着障害」は語れないのね。

 

 

愛着障害の型は大きく分けて3つ

 

 

回避型(不安型)、抵抗/両価型(不安型)、混乱型(無秩序型)

 

 

 

安定型というのもあるんだけれど、これはしっかり愛着が形成されたタイプなので、障害では無いよねってかんじ。

 

 

 

 

あ、講義が終わるので途中ですが、、また更新します

 

 

 

ADHDと依存の関係性について考えてみる 2 実践編

 

みなさんどうもねるです

 

 

さっきぶりの方はどうも

 

 

さっきのブログ ”ADHDと依存の関係性について考えてみる” でも語りましたが

 

たくさんの依存がある中、スマホ依存ヤバイっていうお話でした。

 

 

まあ続きなんですけれどもね。

 

 

スマートフォン依存をやめるにはどうしたら良いでしょうか

 

 

色々試してみたわけです

 

 

スマホ依存回避アプリとか入れてみちゃったりしてね

 

 

でも実際続かないんですよ

 

 

何もメリットないんだもん

 

 

スマホ依存回避アプリを起動したとして、スマホアプリ内でたとえ自分のアバターが成長したとしても何も現実世界に関係がない。

 

要はメリットないんだもん。

 

 

っていう話です。

 

 

まあ実際、

 

 

やめない方がいいんですよね

 

 

 

やめないほうがいいっていうのはやめるなって事じゃなくて、

 

 

やめるやめないっていうアプローチの方法を変えるた方がいいって事なんです

 

 

あくまで私の方法ですが。

 

 

何かをやめようとするときってめちゃくちゃそのやめる対象について考えてしまうものなんですよ

 

 

たとえば禁煙

 

 

タバコはダメだ。体に悪い。タバコが吸いたい。ニコチン不足だ。口が寂しい。眠い

 

 

たくさんの不満感情を”タバコ”という物質に関連づけて考えるんですよね。

 

 

でもそれってあんまり良くないです。脳的に。

 

 

毎日会ってるうちに好きになっちゃったカップルとか

 

 

男友達の相談をしていたらなぜか気になってくる

 

 

大体は脳にあげているのが問題なんです。

 

その対象物を考える回数が多ければ多いほどハマっていくんですよね。

 

 

しかも研究で人間はそれはダメだ、いけない そういう感情をしれば知るほどそれにハマっていく生き物らしいです。

 

 

 

だからダメ男と付き合っている友人に「別れた方がいい」というのは実は逆効果。

 

 

恋が燃え上がってしまうらしいです

 

逆にね 

 

 

話が脱線したね

 

 

でもまあそんなところよ。

 

 

スマホいじってたら何書いてたか忘れちゃった

 

 

ではでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ADHDと依存の関係性について考えてみる

 

みなさんどうもこんばんはねるです

 

 

しばらく更新が滞ってしまって申し訳ございません。

 

 

 

PCのメモ帳にて書いていた文章が手の誤作動により消えてしまったので同じような文章をまたここにてしたためている次第でございます。

 

 

もうすっかり夏でね

 

 

立秋なんて言っちゃって。

 

 

早すぎかよっていうね

 

 

 

時間の流れは早いもので困ったものでございます。

 

 

 

 

そうね本題に行こうかしら。

 

 

最近スマートフォンへの依存がスゴいんですよ

 

 

 

常に何かしら頼っちゃったりして

 

 

動画とか見ちゃったりして

 

SNSやっちゃったりとかして

 

まあまあ時間が潰れること潰れること

 

 

依存まっしぐらですね

 

 

 

最近勉強の時間も取れていないし、何かとやらなければならない行動を後回しにしがちなんです。

 

 

なんなんかなーと思ってたんですが

 

 

 

スマホですね

 

 

何時まで暇だから動画見よう

 

何時まで暇だから音楽聴こう

 

電車の中暇だから音楽聴こう

 

 

こんな感じで電子機器に体が侵食されつつあります。

 

実際このブログも電子機器で書いているしね。

 

 

 

 

多分人間はやめるより減らす方がストレス値が大きいんですよね。

 

 

ですがどうしても環境的に難しいんですやめるのは

 

 

 

だってスマホ社会だし

 

 

何かとLINEで連絡とるし

 

 

もはや電話滅多に使わないし

 

 

ほらね?

 

 

 

まあ依存って難しいよね

 

 

長くなったのでつづきます。

 

 

 

 

 

 

凄まじく死にたいからブログを書いてみる。

発達障害じゃない人は死にたいと思わないのだろうか、これは私の永遠の謎であり、もしそうなら定形発達を永遠に理解できないのではないかと思うゆえんである。

 

発達障害あるあるなのか、ADHDあるあるなのか私あるあるなのかは知らんけど、なぜなぜだかいつの間にかめちゃめちゃ辛くてめちゃめちゃ寂しくてめちゃめちゃ悲しくてめちゃめちゃ死にたいそう思うことが度々ある 

 

こうやってブログを書くときは、なぜだかいつも躁状態だからブログを書くのが面倒。何より一番ブログから私を遠ざけているのは、タイピングがの面倒くささと校閲の面倒くささである、後で見返してちゃんと綺麗な文字に変換したり、私の音声入力を自ら校閲しないといけないんだから、それもそれで、面倒くさいなぁと思うのである 

 

そうそう。私最精神科探してるんだよね。

 

初診の予約を取るまでにとても時間がかかるのは、ADHD由来のものであるのか、そうでないのかは謎である。

 

薬をやめたとか言いつつなんだかんだ薬を手放せない私はいつまでたってもADHDから卒業できないのじゃないかと思うこともある。

 

 

でも薬がないと不安になった時にどうしようもないのである吾輩は猫である

 

私が薬を手放せないのは遂行機能の障害だけではなく自分の自信の無さから起因しているものも大きいのではないか、と私は思っている。

 

 

 

 

どんなに薬で脳が治療できたとしてもシラフの状態では戦えないのではないかという漠然とした不安感が、私を病院に書き駆り立てているんだろうな。

 

あとね、自分が発達障害だってわかってから恋愛ができなくなったから彼氏に移動するとか彼氏に頼るとかそういうことが全くできなくなってしまったんだわな。

 

 

昔なら弱い所は女には見せれないけれど、男には見せられる、そんな漠然とした安心感が私は包んでいたけれど、今はそんなことはないし、もういい大人なんだから、自立しなきゃなんて思って結局1人酒に溺れるのである。

 

 

ADHDの私は生活リズムが崩れると戻すものことが困難で元々眠い体質だからいつまでたっても起きられない。

 

 

逆にずれ込んだ生活リズムを戻すのは何年かかるのだろうか

 

部屋はゴミ屋敷だし片付ける気力もない薬があると片付けてみようかなと思ってえいと一気にやれたりするけど薬がない九百便になるとどうせ薬がある日にやった方が効率がいいしなんて思って先延ばしになってしまう 

 

 

薬の効果には天井があるし、それ以降は努力次第だなんていうけど、なかなか天井があるということを実感するのも自分の能力じゃない場所で薬が効いているという事実もADHD患者には認めにくいのではないかな 

  

 

あーしにてぇなぁ。

 

 

こんなことを書いていて、ADHD患者なんて自分を表現していて、なんだか辛くなってきた 

 

 

今までは悲しいことがあったら友達に電話したり友達とSNSで会話することで自分を慰めてきたでも最近はしんどいことがあるとそれを頭の中に巡らせるのが億劫でどんどん自分の中に溜め込んでいくようになってきたそれが爆発する頃に先に溺れるのであるまぁ溺れると言ってもストロング缶を飲むぐらいでせいぜいアルコール十パーセントの酒をコンビニで数本買って飲む程度だから、そんなに体には悪くないんだろうなと思うんだけど、結局薬も飲んでいるからどこまで行っても肝臓に負担はかかっているんだろうなとも思う、まぁ今更もう遅いか

 

ADHDはだいたい躁鬱なんじゃないのという事例を検証してみる

どうも皆さん、こんにちは、ねるです

 

今回は私が疑問に感じていたADHD双極性障害(躁鬱)が多いのではないかという事例について検証していこうと思いますよ。

 

まずADHD双極性障害が多いと言われる原因は選択的脱力性におけると言えると思う

 

 

しかし選択的脱抑制とは自分の好きなことに関して発動されたり興味があることに対して発動されたりするためADHD地震では地震では自身ではコントロールが難しいと言える

 

 

つい最近も、とは言っても結構前になるのだが、主治医にに言われた言葉がある

 

 

鬱みたいに落ち込んでしまうんです

 

 

 

と私が言った、

 

 

しかし主治医は言った頭の中の思考は止まっていますか?

 

 

私はぽかんとした。

 

なぜならその感覚が一切わからなかったからだ。

 

 

 

知人に鬱になったことがある方がいてその方に話を伺うと鬱になったら何も考えられなくなって頭がフリーズするんだというようなことを聞いた。

 

 

 

しかし私にとってひどい鬱状態とは体が動かないベッドにはりつけの状態で頭の中をしきりに動かしている状態と言えた

 

 

これはどちらかというとどちらかというと脳は他動な状態で躁鬱の躁の状態に近いと言えるらしい、むしろ発達障害は脳の制御の機能が弱いことがある為

脳のドーパミンの量のコントロールが難しかったり、情動のコントロールがうまくできなかったりする。

 

その脱抑制が私の鬱の状態を作っているのではないかと私は考えた。

 

 

躁状態とは、自分の中の思考が目まぐるしく回っているような状態で、どことなく酩酊したような多幸感と満足感を得るような状態という。私の中でね。

 

 

 

まあこの文章も自分の指を動かして書いてる訳ではなく音声で入力できるキーボードがあるためそれを利用しているつまり私今の私は体は動かしたくないけど頭は目まぐるしいハイパー躁鬱状態というわけだ。

 

自分でも躁状態の自分がモニタリングできなくてどんな時が躁状態なのかその判断が難しい。

 

 

躁鬱の今風用語の双極性障害。わたしは双極性障害二型に分類される。

 

双極性障害二型では躁状態が軽躁状態という表現をされるため、感情や気分のアップダウンにおけるアップの部分が少ないといえるだろう。

 

 

 

 

このブログを読んでる人には断薬をしてうまくいっていないんじゃないかと思う人も多くいるだろうな。

 

しかしこれは失敗なのではないんだぜ

 

 

なぜなら断薬をして大学に通うことができているし課題の提出が滞りなく行われているからだ。

 

 

これはかつての私にとってとんでもない快挙であり未だに自分でも自分を褒めてあげたくなるぐらいすごい事なんだわ。

 

まぁ大学生としては当たり前のことだし、レポートなんて期限内に出すものだし、そんなの当たり前だろうとかそんなことは誰も誰からも受け付けない。

 

 

 

 

最近あった唯一の問題といえば新しく始めたバイトで換気扇の音が気になりすぎてしばしば客のオーダーを聞き取れないことがあることだろうか。

 

 

ADHDにおけるマルチタスクというのは定型発達のマルチタスクと訳が違う。

 

ADHDはそれでなくても情動に左右されやすく頭の中が忙しいのだから、どちらかというと優先順位をつけて一から大事なことから進めていくという対策が望ましいといえる。

 

 

投薬治療でもコンサータストラテラを使うと優先順位がつけられるようになったということがしばしば投薬の功績に上がるくらいだからね。

 

 

まぁすごいお薬って便利ですよねってお話なんだけどね。

 

 

意外と大学生としてはシラフで生きていけてしまうんだよなー。

 

 

まぁ朝は起きられないしそこら辺は大変ですが。

 

 

あと、アルバイト等で社会的責任を果たすのが死ぬほど大変です。

 

 

アルバイトについてはまた後日書きます。

 

 

 

おー書き終わった。早いもんですね。15分くらいでババっと書くのでね。 

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

ADHD含めすべての薬を辞めた話

 

 

 

どうもーねるです 

 

 

 

どうも。 

 

 

 

題の通りですが、5日程前からすべての薬を断ちました。  

 

 

 

まだ実際これからまた投薬するのかしないのか決めていません。それを踏まえて話していきます。

 

 

 

まず、なぜいま断薬?と言われるとまぁきっかけは色々とあります。 

  

 

 

 

 

 

遡って考えれば、いつかは辞めないとって思っていました。 

 

 

 

 

いつもそれは考えていた。 

 

 

 

成人(おとな)の発達障害とかいわれて、20歳を越えてから診断がおりて投薬が始める人だっている。 

  

 

 

 

じゃあなんでわたしは薬からいまからじっくりとかいていこうかな。 

 

 

 

 

まず私が発達障害を診断されたのは高校3年の終わり。一月のことでした。 

 

 

 

 

自分に障害者のレッテルを貼るのは嫌だったし、親がどう思うか。等たくさんのことを考え、高校1年から診断を先伸ばしにしていました。

 

 

 

なぜ診断を受けたか?と聞かれると、ひとつだったように思います。 

 

 

 

投薬して楽になりたい。じんせいはーどもーどからイージーモードにはならなくても、ふつうになりたい。 

 

 

 

 

できることを増やしたい。自分を責め続けて生きていくのは嫌だ。

 

 

 

何より、 

 

 

 

発達障害を早期に発見することが発達障害と共にいきる近道だと思ったから。 

 

 

 

 

 

はたちすぎたらおそい。って思ってました。 

 

 

 

18歳までが子供として発達障害を見てもらえる年だったりして、ここで逃げたら敗けだと思った。 

 

 

 

引き下がって予約がとれないからとかいって諦めたらもう次はねーぞって。思ったんです。 

 

 

 

 

それは間違ってなかったと思う。 

 

 

 

 

あのとき診断を受けて、投薬を開始したからいまがあります。 

 

 

 

もしそのまま生きていたら、大変な思いをしながら、自分を責め続けて生きていたと思う。 

 

 

 

具体的にいったら大学に進学出来なかったと思う。ずっと落ち着きがなくて、勉強に集中できなくて苦しんでた。 

 

 

 

それでもわたしは投薬でそれをなんとか乗り越えて大学に進学することができました。

 

 

 

 

 

それは家族、友人、学校、たくさんの支援があったから。 

 

 

 

でもね! 

 

 

 

なにより私が一番頑張ったと思う。というか周りのサポートがあって、最大限頑張れた。この2年、休みながらもひたすら走り続けて来ました。辛くてもよかった。過去の後悔を埋められるなら。そんな気持ちでした。まだ人生をそんなに生きてないって思うかもだけど、人生の中で一番にがむしゃらでした。

 

 

 

 

最高に見えるでしょ? 

 

 

 

 

 

 

でも、だんだん分からなくなってきたんです。

 

 

 

 

どこまでが薬を使わずに頑張ってるわたしで、どこからが薬を使って動かされてるわたしなんだろう。 

 

 

 

 

過集中がないと、あの無性にドパミンがでて、快楽に溺れるような快感もない。つまらない。

 

 

 

 

心が、気持ちが平坦になるということ、あれだけ波があって困っていたけど、波がないとそれはつまらないこと。 

 

 

 

発達障害だった自分が恋しくなったの。寂しくなっちゃった。 

 

 

 

クソみたいな元彼でも、楽しかったこと思い出してまたちょっと逢いたいって思うようなそんな気持ち?知らんけどw/(^o^)\

 

 

 

 

 

 

 

ともかく。。。確かに人とちがって、多動も衝動性も強いし、コントロール出来ない自分に困ることもあったけど、 

 

 

 

 

でもさ、わたしがわたしを一番に大切にするって考えたら、これしか浮かびませんでした。不必要に痛め付けるなら肝臓がかわいそうでしょ? 

 

 

 

 

一旦やめてみるにはたまたま良くて、いまは処方が最小の量です。なんせ子供の処方量より少ないくらいの量です。 

 

 

 

主治医からも辞めてもいいのかもねーといわれ、決意しました。 

 

 

 

 

後悔はしてませんよもちろん。 

 

 

 

あと四日程で体から完全にお薬の効果が消えます。 

 

 

 

 

いままで支えられてました。ここ数ヵ月はとくに安定してた。 

 

 

行きなりやめたらって思われるかもだけど、戦っていきます。 

 

 

 

 

長くなっちゃったね。読んでくれる人もありがとう。 

 

 

 

 

また更新します。しっちゃかめっちゃかだな。

 

 

 

 

発達障害は運だと断言された話 

 

 

こんばんはねるです。 

 

 

 

こないだのお話をほりかえしますね。 

 

 

こないだっていつやねん!て思うかたはここで見るのを辞めてなんて言いません最後までみてね。  

 

 

 

どうしても伝えたいかと言われるとですが、発達障害を対策したり克服したり?治らんけど努力する趣旨がこのブログにはあるので、  

 

 

 

 

過去に下書き保存したものは、掘り返して書かないといけない義務があるんてすよね。  

 

 

 

書けよってプレッシャーをかけつつの下書きなので。 

 

 

本題に戻るよ。

 

 

 

 

 

 

発達障害は運です  

 

 

 

 

これは主治医にいわれたことばです。 

 

 

 

この趣旨は、発達障害が原因ではなく、発達障害の人とそれを取り巻く環境の不調和が発達障害当事者を病院へ赴かせているということ。 でした。

 

 

 

そうですが、あまりにもあっけらかんとした言い方に、うわぁぁぁあーーーーーまじかーーーーー 

 

 

 

ってかんじだったねるです。 

 

 

 

あまりにも圧倒されたと言うかなんと言うか。  

 

 

 

 

あっけらかんとしたいいますよね。よくも。   

 

 

 

 

 

 

ちなみに主治医も典型的なadhdです。学会に遅刻するやばい人です。まぁそこら辺が面白くて好きですが。

 

 

 

 

でも本当ににそれな。と思ったのも事実でした。 

 

  

 

 

簡単に発達障害発達障害~って言いますが、支援も対策も飛び越えてまずお薬から、なんていって処方されて様子見なんてこともある発達障害の世界で、 

 

 

 

いつもわたしにはくすりに頼らない対策を雑談がてら語ってくれる大切な存在な訳です。 

 

 

 

 

そんな日とに言われたらえええええ~ーーーっ 

 

 

てなるじゃないですか笑

 

 

 

 

 

でもそうらしいですよ。 

  

 

 

 

別に運だからといって 

 

 

 

はいお前大凶だからもう知らね。 

あっちの病院いってくれ~俺知らねーから。 

 

 

って言われるんけじゃないんですよね。 

 

 

そういう運じゃない。

 

 

 

でも、ある種の運の要素もある。 

 

 

 

これまで発達障害ということばが浸透していなかった頃、生きづらいながりもやってこれた人たちがいたのは、ある種の運があったからでは?ということです。 

 

 

 

 

職場環境に恵まれてたとか、家庭ではリラックスできたとか、そういう小さなことでもすべてがその人を構成し、本人が決定可能な要素なわけで、 

 

 

 

離婚したら環境は変わるし、しごとで部署が変わったりしても、今日だけ一駅分歩いて帰っても、たくさんの決定でいまの状況を過去の決定で動かしていくわけですからね。 

 

 

 

パラレルワールドなわけよ。

 

 

 

これは言いたかっただけやけど。  

 

 

 

でも、そういうことです。

 

 

 

 

運は変えられないが、どうしても運が悪い人がここ(病院)にいる。 

 

 

ある種その人だけの問題ではない。その人だけの責任ではない。そんな不思議なことでも、理由なんかなくても、そういうことが起こり得るということ。 

 

 

 

 

誰の責任でもないなら、逃げちゃってもいいのかも。ということ。 

 

 

 

 

誰の責任でもないから、自分で運まで背負ってやる!って投薬なり支援を打ち切ること。 

 

 

 

 

どちらも悪い選択ではないと思うんです。 

 

 

運なら死ぬ気で変えてやる。っておもうの。わたしは。 

 

 

 

死ぬなら死んでもいいから変えてやるっておもうの。 

 

 

 

たから投薬を打ち切ることに決めました。 

 

 

 

主治医ももうやめたら?って感じだったので。 

 

 

 

次回からTwitterでも報告したように、ブログでも投薬やめてみたっていう章をはしめます。 

 

 

 

 

いつまでもあると思うな親薬。 

 

いつまでも効くと思うな薬。 

 

 

 

ということで。 

 

 

 

またブログ書きます。